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杉並・荻窪の天沼八幡神社

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天沼八幡神社について

天沼八幡神社の歴史・由来

黒松と社殿

黒松と社殿

誉田別命
市杵島姫命

当社のご祭神

ご祭神(二柱)

誉田別命

第15代応神天皇(おうじんてんのう)と同一とされています。応神天皇は、記紀の伝承によれば父は仲哀天皇であり、母は神功皇后でありました。

この天皇は又の名を誉田天皇(ほむたのすめらみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)などとも称されておりました。

「日本書紀」によれば、神功皇后が朝鮮に遠征した際に すでに胎内にあって、新羅を征封し帰国したのち、筑紫(福岡県)の地でお生れになりました。大和にお入りになり皇太子となり、母の死後の翌年には即位されたと記されております。

八幡神社は大分県宇佐市にある宇佐神宮を本社としており、奈良時代から皇室の篤い信仰を受け平安時代には京都府の石清水八幡宮が創建され、都の守護神として宇佐神宮より分霊がお祀りされました。

さらに鎌倉時代には鶴岡八幡宮も創設され、清和源氏の氏神として崇敬されました。

こうして、各地の武士の守護神となり全国に約25.000社(全国の神社の三分の一)もあります。(同じ八幡系は杉並区内に大宮八幡宮、井草八幡宮、荻窪八幡神社、下高井戸八幡神社と当社と五社鎮座してます)

市杵島姫命

日本書紀に登場する水の神である。「古事記」では市寸島比売命「日本書紀」では市杵島姫命と表記されています。

天照大御神との契約の折素盞鳴尊の剣から生まれた三女(この三女を宗像三女神という)の一柱であります。

「古事記」では二番目に、「日本書記」では三番目に生まれた神となっています。 宗像大社(福岡県宗像市)の辺津宮に祀られているとされています。

後に仏教の弁才天と習合しし、民俗信仰の水や芸能安産の神として慕われてきました。

ご由緒

ご由緒

当社は天正年間(1573-1591)の創建とされ、四百数十年もの間この地の「鎮守さま」として長く天沼を守護してきました。

鎮守の森

鎮守の森

徳川家康が江戸に幕府を開く頃で、武勇の守護神としてこの天沼村に勧請されたとされます。時代の移り変わりと共に街の姿は変わりましたが、永きにわたり天沼の人々の心の拠り所として篤い信仰を集めてきました。

新編武蔵風土記稿(1828年)によりますと、天沼村は江戸麹町山王権現(現赤坂日枝神社)の社領でした。

「八幡社」は多摩郡天沼村中谷戸の鎮守で、本村にある蓮華寺の所領と記載されてます。境内末社に日枝神社があるのもこの天沼村が山王権現の社領であったことを示してます。

幕府の裏鬼門を鎮守し、徳川家の繁栄と安泰を祈願した神社だったのでその社領からの年貢もかなり優遇されていたようです。

低地で大雨が降ると辺り一面が水浸しとなる土地のようでしたが、先人はその心配のない高台を鎮座地に選ばれました。

明治40年四面道にあった弁天社(市杵島姫命)を合祀してご祭神が二柱となりました。昭和2年村社となっております。

昭和61年(1986年)創建四百年祭を執行しました。

本殿のご造営は昭和52年に鉄筋コンクリート造りとし、社務所は昭和54年、手水舎は平成14年、神楽殿は平成16年にそれぞれ改築を行いました。

神楽殿

神楽殿(昭和初期)

境内には杉並区の保護樹木(約30本)をはじめ、常緑樹や落葉樹約100本で「鎮守の森」を形成しており、都会のオアシスとしての役割も担っております。

平成28年(2016年)には四百三十年祭を行う予定です。

※末社

五社の末社

5社の末社 

日枝神社/金山彦神社/須賀神社(三神で一殿)、稲荷神社(三殿)、大鳥神社の五殿があります。稲荷社(ご祭神−宇加之御魂神)は氏子の宅地にあったものを当社で引き続きお祀りしており、大鳥神社(ご祭神−日本武尊)は、昭和24年に先々代の宮司が台東区の大鳥神社より勧請してきたものです。大鳥神社では毎年11月の酉の日に「酉の市」をひらいており社務所では、商売繁盛・家運隆昌の開運熊手守等を授与しております。

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氏子区域

氏子区域

旧天沼村の西南地区が氏子区域となっております。(概ね文大杉並高から青梅街道の北側で四面道まで)

阿佐ヶ谷南(一部)、天沼一丁目(一部)、天沼二丁目(西側)、天沼三丁目、清水一丁目(二高通り際)、 上荻一丁目(荻窪駅北口駅前)、荻窪四丁目(青梅街道際一部)

※地鎮祭等で正確な氏子区域をお知りになりたい方は神社へ問い合わせ下さい。

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天沼弁天池公園

天沼八幡神社 天沼弁天池公園

天沼八幡神社 弁天池 (昭和初期)

当社の境外地に天沼弁天池がありました(現天沼弁天池公園)。

桃園川の水源として夏にはこどもたちが池に入って遊んでいたと云われています。

天沼村から阿佐ヶ谷村、馬橋村と経て中野区で神田川(水源地は井の頭池)に合流します。

農地の開墾が増え水量が乏しくなった江戸中期には練馬区を通る千川上水(玉川上水から分流)から青梅街道を経由し天沼村までの新たな上水を引いたとされています。

関東大震災後は、農地から宅地への開発も急激に進み、戦後は水脈の枯渇と農業用水の目的も失せて昭和40年代には暗渠化されました。現在は「桃園川緑道」となり、旧橋名が随所に残る区民の散歩コースになっています。

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氏子と神社

氏子と神社の繋がり

氏神とは、もともと古代社会において血縁関係にあった一族がお祀りした神様をいいました。中世以降は土地の神様つまり鎮守の神様である産土神(うぶすなしん、生まれた土地を守護してくださる神様)までが氏神と混同されるようになりました。

今ではその判別もつきにくくなっております。そもそも「氏子」とは、氏神を祀る氏族の子孫を意味しましたが、現在では氏族とは関係なしに、神社の氏子区域(祭祀区域)に住んでいて、お祭りに参加したり人生儀礼の際などに奉告に来られる人たちを「氏子」と呼んでおります。

新たに氏子地域に住まわれた方やいままでこの意味をご存じなかった方で、これより当社の「氏子」にご希望の方は社務所へお問い合わせ下さい。

「氏子」の登録をされますと、年度が改まり1.維持費(千円以上)と、2.例大祭の奉納金(千円以上)のご協力をお願い致しております。どちらも年額で、当社の社務員がご自宅や事務所に訪問して参ります。日中ご不在が多い方はご面倒でも社務所までお持ち下さい。

また「氏子」の方には、半年間の罪穢を祓う「大祓式」のご案内もしております。(こちらは任意の行事となります) 6月30日は「夏越しの大祓式」・・氏子崇敬者の方々と「茅の輪くぐり」をします。12月31日は「年越しの大祓式」・・社殿に昇殿参列し、一年の締め括りを行います。

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天沼八幡神社の今と昔

当社は四百有余年の間この地の「鎮守様」として長く天沼を守護してきました。

天沼八幡神社の今と昔・天沼を守護してきました

大正十二年十月

天沼八幡神社全景

天沼八幡神社社務所

天沼八幡神社社務所 (昭和初期)

天沼八幡神社境内全景

天沼八幡神社境内全景 (昭和初期)

 

御社殿屋根修復竣工記念

平成二十二年 天沼八幡神社

御社殿屋根修復竣工記念

天沼八幡神社社殿

天沼八幡神社社殿 (昭和初期)

天沼八幡神社 宮司 鶴岡隆志
  〒167-0032
  東京都杉並区天沼2-18-5
  TEL 03(3398)2514 
FAX 03(3398)2555
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